坂井新奈には天使の羽が生えている 今はまだそれだけで十分だ ―17thひなた坂ライブの坂井新奈に感じたこと―
昔、ルイ・コスタというサッカー選手がいた。
フィオレンティーナの背番号10として愛されたポルトガルのファンタジスタだ。
彼は後に数々のタイトルを獲得したのだが、彼が王冠を手にする前から人々を魅了していたエピソードとして、こんな言葉が語られている。
ポルトガル代表である限り、フィオレンティーナにいる限り、ルイ・コスタが王冠を手にすることは無いが、ファンタジスタの背中には天使の羽が生えている。それだけで十分だ。
出典は定かではない。
本人の言葉なのか、サポーターの言葉なのか、恐らく誰かの創作だろうとも思う。
ただ私は、この言葉が長く語り継がれている理由だけは分かる気がする。
王冠は結果だ。
けれど人は、結果だけに心を動かされるわけではない。
まだ旅の途中にありながら、それでも未来を信じさせる人がいる。
Ⅰ.悔しさから生まれた種
2026年6月17日。二日間の17thひなた坂ライブが終わり、帰路についたあとも、平岡海月の最後のスピーチが頭から離れなかった。
「選抜に憧れながら、そして選抜をも超えてやるという思いでライブを作っています」
「悔しさから生まれた種が、いつか大輪の花を咲かすって私は信じています」
二日間のライブを振り返るたびに、その言葉は少しずつ重みを増していく。
まだ王冠はない。
でも進む理由はある。
まだ結果は出ていない。
でも信じる理由はある。
そんな二日間だった。
Ⅱ.『My fans』での表現力
そのライブの中で、私が最も心を動かされた瞬間のひとつが『My fans』だった。
センターに立つ坂井新奈。
普段のふわふわした姿とのギャップに驚いた人は多かったと思う。
私もその一人だ。
挑発的な表情。
鋭い視線。
グループ最年少というイメージを忘れさせるような存在感。
ライブ後には「反抗期みたいだった」という感想も見かけた。
もちろん悪意のある言葉ではないのだろう。
ただ私は、その言葉に違和感を覚えた。
なぜなら、その表現は坂井新奈があのステージで積み上げたものを、あまりにも軽く説明してしまうからだ。
『My fans』で彼女が見せたのは、反抗する少女の仕草ではない。
楽曲の世界を理解し、それを自分の身体と表情を使って観客へ届けようとした表現だった。
もしそこに「反抗期」という言葉を当てはめるなら、それは表現を人格に回収してしまうことになる。
私はむしろ、その表現を成立させた坂井新奈の解釈力と表現力の方に驚かされた。
Ⅲ.人間は完成しない
フランスの哲学者サルトルは「実存は本質に先立つ」と語った。
難しい言葉だが、要するに人間は最初から完成された何かではないということだ。
優しい人。
かわいい人。
おっちょこちょいな人。
私たちはそんな言葉で他人を理解した気になる。
でも人は、そのどれにも収まりきらない。
人間とは、これから何者にでもなり得る存在だからだ。
『My fans』の坂井新奈を思い返して、私はそのことを考えた。
あの日ステージに立っていたのは、普段私たちが知っている「にぃたん」とは少し違う姿だった。
けれど、それは別人ではない。
隠されていた本性でもない。
坂井新奈という人間が持つ無数の可能性の、そのひとつだった。
Ⅳ.感情との対話
坂井新奈は2日間のライブを終えた後、
自分の感情を表に出すことにどこか慎重なところがある
今回のライブでは、歌詞と自分自身の感情を重ね合わせながら、できる限り心で表現しようと思った^[2]
と振り返っていた。
『My fans』で見たあの鋭い表情は、今まで表に出してこなかった感情との対話だった。
強い表情の奥に美しさがあったのは、怒りではなく、不満でもなく、自分の内側へ向かおうとする勇気が見えたからかもしれない。
Ⅴ.精一杯の先へ
そして何より印象的だったのは、坂井新奈が1日目のライブを終えたあとも満足していなかったことだ。
彼女は2日目の朝、初日のライブを振り返り、
自分が思う「精一杯」と実際の表現との間にある距離を痛感したこと、そして2日目はその先へ行きたいと思っていたこと^[1]
を語っていた。
ファンが新しい坂井新奈を見つけた日に、本人は自分の限界を見つめていた。
私たちが「すごかった」と言っている場所で、彼女は「まだ足りない」と思っている。
だから成長するのだろう。
だから可能性があるのだろう。
Ⅵ.自分を作り続けるということ
平岡海月はライブの最後にこう語った。
「どんなに先が見えなくても、おひさまとメンバーとスタッフのみなさんを信じながら進むしかない」
私たちは時々、「本当の自分」を探そうとする。
でも実は違うのかもしれない。
実存主義は、人間とは完成された存在ではなく、自分自身を作り続ける存在だと考える。
坂井新奈もまた、その途中にいる。
重要なのは、今どこにいるかではなく、どこへ向かおうとしているかなのだ。
人間の価値は、すでに獲得したものだけでなく、自分を更新しようとする意志の中にも宿る。
私が『My fans』で心を動かされたのも、その意志が見えたからだった。
Ⅶ.王冠は未来にある
王冠を語るにはまだ早い。
未来を断言することもできない。
思い描いた姿になるかもしれないし、ならないかもしれない。
その先のことは誰にも分からない。
でも私たちは、この二日間で確かに見たものがある。
それは王冠ではない。
まだ見ぬ未来へ向かって、自分を更新し続けようとする姿だ。
坂井新奈は『My fans』のパフォーマンスを通して、自分の中にあったひとつの可能性と、限界の先へ行こうとする意志を見せてくれた。
坂井新奈の背中には天使の羽が生えている。
王冠は未来にあり、誇りは今ここにある。
だから今はそれで十分だと思う。
かつてフィオレンティーナのサポーターたちは、自分たちのファンタジスタに王冠がなくても誇りを抱いていた。
単なる負け惜しみではなく、そこに他の誰にも真似できない美しさが見えたからだ。
私たちもきっと同じなのだと思う。
坂井新奈がどこまで行くのかは分からない。
どんな景色を見るのかも分からない。
それでも、あの日『My fans』で見た姿を、私は誇りに思う。
そしていつか王冠を手にする日にも、きっと背中に生えたあの羽を思い出すのだろう。
決して王冠を諦めたわけではない。
ただ、王冠が見える前から誇れるものがある。
「坂井新奈を推していて良かった。」
そんな誇りと幸せを感じさせてくれる存在に、彼女はもうなっている。
今ここにある可能性の別名である。
人は到達点によってではなく、
向かう先によって形作られる。
(了)
